

中学・高校時代、に感じていたこと・・
漠然とした思い
中学・高校時代、教壇から次々と伝えられる知識の渦。
僕はその渦に飲み込まれ、溺れそうになりながら
「何かが違う!」そう心の中で叫んでいました。
その声はどこの誰にも届くことがありませんでした。
鎌田東二
『日本の神々』
(遠藤周作氏の『深い河』を引用しての序説より)
「神々とはあなたたちのように人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間の中にあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」と。
もう、この国の学びの場からは、とうの昔に忘れ去られたあの「大きな命」に対する深い畏怖の気持ちがそこには記されていたのです。
私は、こうした「いのち」の感覚こそが、本当は一番大切なものではないかと今も感じています。
この国の神道は、そのように森羅万象に魂や神の宿りと力の働きを見ていました。学者の方からは「アニミズム」とか、「汎神論」などとも呼ばれているようです。

その後、この国に仏教や儒教の教えが海を渡って入ってきたようなのですが、私たちの先祖はおおらかにそれらを取りこんでゆきました。
もともと目には見えないような命のはたらきを感じ取るような感受性を備えていたこの国の人々は人間関係のより一層の調和を求めて学んでゆこうとする儒学の教えを学問の礎に置くようになりました。

五経四書は長い間この国の教科書的な役割を果たしてきました。
目には見えない命のはたらきを「仏(ほとけ)」としてとらえる仏教もこの国に浸透してゆきました。きっとそんな国だからこそ、宮崎駿さんの「トトロ」や「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」などのジブリ作品がどこかで人々のDNAを呼び覚ましているのではないでしょうか。
遠藤周作
(えんどう しゅうさく、1923年3月27日 - 1996年9月29日)は、日本の小説家、批評家、劇作家。
しかし、今から64年前、戦争に敗れたこの国は、大きな方向転換を余儀なくされてしまいました。
これまでの、歴史に背を向けて、科学的と言われる西洋の学問がまるで「学び」のすべてのようになって
ゆきました。
科学はとても大切な、ものの見方、考え方、だと思います。
けれど、そればかりではこの国の本来の「学び」からは遠ざかってしまうと思います。
「いのち」の学びや、「人としてのあり方」を問う学びが土台にあって、はじめて「科学」もいきてくる
のではないでしょうか。
ひいては、新たな時代の扉も、そうした「力」によって初めて開かれるものだと確信しています。
特に若い人たちは、仕事を通じての「学び」も大いにあるのではないでしょうか。
朝から晩まで勉強するなどというのは、そもそも贅沢の極みであって、本来は、半分働いて、半分学ぶくらい
で丁度良いのではないでしょうか。
このような話をすると「学生に働いて稼ぐことを勧めると、風俗にはしる女子もいませんか?」と苦言を呈す
人もいる。
額に汗して働くことを尊いものと教えることは大人たちの大切な務めでもあると思いますが
皆さまはどうお考えになりますか?
社会の一員として、立派に世の中の役に立つ人間となるような「学び」を
私は大切にしたいと思っています。
また、胸を張って子どもたちに伝えられるような仕事を
大人は責任を持ってまっとう出来たら素敵だと願っています。
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